凛として愛」、この映画に感動しなかったら日本人ではないとまで言われた映画です!

明治の開国から大東亜戦争に至る経緯、そして戦後如何に歴史が捏造されたのか…

この映画は平成14年、靖国神社・遊就館で上映する為に製作されたものの、政治的圧力により 二日間で上映禁止となったそうです。泉水隆一監督は平成22年7月15日に逝去されましたが、関係者の努力で、DVDやYouTube で日の目を見ることに…。

この映画をじっくり観て、日本の過去の歴史とあるべき将来について、深く考えてみましょう!

■ 映画「凛として愛」のフルバージョン  (77分)

70分を超える映画ですので、お時間のない方は約15分にまとめられた…次の

■ 歴史の偽造 〜映画 「凛として愛」から〜 【ダイジェスト】 (15分)

を先ずご覧ください。

映画の中にあるピューリッア賞受賞のアメリカの従軍記者ジョン・トーランの言葉…

「アメリカのように天然資源と広い国土に恵まれ、外国に攻撃される恐れもない国がどうして日本のように小さく、ほとんど資源もなく、常にソ連のような仮借ない隣国の脅威にさらされている島国のおかれた立場を理解することが出来るだろうか。
アメリカが口にする正義は結局は、自己の目標を貫かんがためであり、唱える同義はその奥底においては自らの利益のためであった」と戦争に追い込まれた日本を擁護しています。

以下引用:「凛として愛 」について より

明治開国から大東亜戦争まで日本が戦って来た歴史を約70分でまとめてあります。
明治27年の朝鮮半島をめぐる清国との戦い
ロシア、フランス、ドイツの三国干渉
朝鮮半島、満州をめぐり大国ロシアとの戦い
満州事変、支那事変、ABCD包囲網。
なぜ日本は戦わなければいけなかったのか。
資料に基づいて制作された映画で、真実の歴史を知る事ができます。

制作の経緯
靖国神社創立百三十年記念事業の一環として本館改修と新館増築にともない遊就館で真実のドキュメンタリー映画を上映することになり其の映画制作を依頼されたのが泉水隆一監督でした。
監督が渾身の力を込め二年の歳月をかけて出来上がったのが「凛として愛」でした。
映画完成前から他国からの批判を気にした保守陣営の圧力などがありました。
上映はされたものの、この歴史の真実を伝える「凛として愛」をたったの二日で上映中止にしてしまったのです。
監督の無念さは計り知れません。

監督の無念さ…それは韓国や中国に向けられたというより、直接的には映画の制作を監督に依頼した「靖国神社」上層部に向けられていたのです!

監督の無念さがよくわかる”恐ろしい手紙”を引用します。

靖國神社製作「凛として愛」撮影にご協力頂いた皆様方へ 

                                   映画監督 泉水隆一
前略
突然ながら、お手紙差し上げます。
皆様に撮影ご協力頂いた映画「凛として愛」に関してのことです。
もう、既に皆様方の中にはご存じの方もいらっしゃると思いますが、「凛として愛」は、去る7月上旬には完成をし、7月13日から始まる靖國神社恒例のみたま祭りに「こけら落とし」された新・遊就館映像ホールで上映されましたが、上映は二日間のみで、神社側の一方的な判断で、それ以降は上映中止の措置がとられました。
中止理由は、中国・韓国からの反論、抗議を恐れるためでした。神社の中でも若手職員の中からは、「映画は中・韓を恐れず、堂々と上映すべき」という声も陰にはありましたが、首脳部は「トラブルに巻き込まれたくない」という、もっともらしい理由を楯に上映中止を断行したのです。
英霊の汚辱を晴らす、本作品の上映よりも「トラブル」を嫌ったのです。
神社側の言い分は、日本外務省同様に「国際的な配慮が必要」というものでした。神社に祀られる英霊は、身命を投げうって国家のため、同胞のために地に伏しました。その英霊のおかげで、靖國神社は今も現存しています。英霊のおかげで、靖國神社に勤める神職、職員の豊かな生活は成り立っています。
どんなに世の中が不況に陥っても、彼らの生活に影響を及ぼすことはなく、多くの参拝者の奉納金で豪華なマンションを彼らは建設し、毎日のように酒席を設け、何の経済的不安もなく、楽しい生活をしています。
それはいいでしょう。神社の神職、職員が全てを英霊のために投げうっているならば、私は彼らの生活にまで斟酌する必要はありません。
しかし、現実は違う。
私は二年間、靖國神社に勤務して、映画を制作してきました。普通の人が垣間見られない裏の姿も見ることが出来ました。
これも英霊のおかげでしょう。英霊が私に真実を覗かせているのだと思っています。私は、なにも靖國神社の本当の姿を暴露するつもりは、今日の所はありません。いいたいことは、彼らが保身に走ったことです。トラブルを防ぐというのは、詭弁であり、要は韓国・中国からの、あるいは左翼系からの抗議・攻撃に身を曝すことを嫌がった、というただそれだけの理由です。
安穏とした生活をしていたいだけなのです。
訪れる遺族にはいかにも英霊への崇敬を果たしているような言葉をいい、尊敬を抱かれることが好きなだけなのです。

彼らは、神社がぼろぼろになっても正しい歴史のために、英霊のために闘うという思いはまったくありません。政治的に全てを計ろうとしているだけなのです。
戦後の日本がだめになった縮図が現在の靖國神社運営首脳部に見ることが出来るのです。

考えてみれば、戦後の靖國神社は戦前の靖國神社と名称が同一なので、ついつい、私たちも靖國神社という名前に騙されて、神社の職員は全て英霊一筋だと考えてしまいがちですが、かれら神職は、たまたま、神学大学を卒業後、一般人と同様な感覚で靖國神社という所に勤めただけのことで、英霊がどうのこうので就職したわけではないということが二年間、彼らと共にしたことで、そのことがよくわかりました。
またまた、靖國神社の悪口になりましたが、今日は、それは極力押さえるつもりなのです。真実は別の機会でしたく考えています。

本日、私が言いたいのは、普段は≪中国・韓国に屈するな≫≪正しい日本近代史を≫等、口にしながらもいざとなれば、保身に走った現在の靖國神社首脳部は許しがたいという思いを皆様に伝えたいということなのです。

欺瞞という衣をまとった通常人が結束し、神社を牛耳っております。
英霊の汚辱を晴らすために闘うという姿勢は何度も言うようにまったくありません。あるのは「闘っているぞ」というポーズと参拝者が減ることと、奉納金は減じることだけが日常の心配の種というだけの、靖國神社にいるべきでない人々が参集していると私は考えています。
決して、私の思い過しでも偏向ではありません。
二年間、私は、彼らの日常会話を耳にし、言葉を交わしてきました。
裏も表も見てきた私の靖國観です。

今まで、皆様には何のご連絡もせず、このような突然の手紙を見て、さぞかしお驚きのことでしょうが、話を進めます。
実は、上映中止の後、神社側から他の団体に映画を譲渡して、その団体名で映画を上映したいという意向が伝えられました。その話が決まった段階で、皆様にはご連絡しようと考えていたために、ご通知が遅れました。申し訳ございません。

私は神社側が≪トラブルに巻き込まれたくない。しかし、どうしても映画は上映したい≫という言葉を信じて、「譲渡という行為そのものが卑劣、卑怯」と心に思いながらも、それでも、映画が上映できるならと考え、譲渡することに承諾をしました。

しかし、神社と譲渡先の団体とのやりとりで、やはり、中国・韓国から抗議がくるような内容は削除、一部修正して上映したいという話が私の方に伝わってきましたので、私は即座に譲渡の話は断りました。
何の修正もなしに譲渡することを条件として、譲渡を承諾したにも関わらず、彼らは、再度、姑息にも、今度は譲渡先で修正してから、靖國神社で上映するという密約をしていたようです。
英霊をないがしろにし、保身のみに汲々とする神社に、現在は、未練も魅力も私は持っていません。

従い、戦後、歪められた日本近代史を破棄し、正しい英霊の歩みを国民に知らしめようと企図した本作品は靖國神社では上映できなくなりました。
出来なくなったというより、私の方で、こんな神社で上映してほしくないという気持ちが強く、断ったというほうが適切でしょう。
「なんとか上映するために譲渡したい」という神社側の言葉にまたしても騙されたという思いが強くあります。

本来は、この映画は「日本を変える」「日本の正しい近代史を描き、英霊の汚辱を晴らしたい」という意向を強く主張された花田権宮司の意向に従って、制作がスタートしています。しかし、どういう悪霊が動き回ったのか、花田権宮司は、制作途中で担当を外され、新たな人事異動で現在の首脳陣が形成されました。
それから英霊の真実を伝えようとする「凛として愛」に徐々に圧力がかかりだしました。色々な噂が私の耳に飛び込んできます。
「宴会シーンに神社の人間を使い、出演料を浮かせようとしている」
「監督は左翼思想があるのではないか」「どうせ、金で雇われてやってるんだから、次は共産党のものもやるんじゃないの」などなど、個人的中傷の噂です。
本作品は私が中心になっているので、私を腐らせて、作品から降りてくれれば作品が完成せず、彼らにとって最都合なのでしょう。
スタッフ一同とも嘲笑しながら、私たちは構わずに初期の目的どおり、映画制作を続行しました。
そして、今年の六月下旬には一応の完成を見たのですが、神社側と神社の上部組織である総代会からの意見として、中国・韓国を≪悪く言うことは避けたい≫ということが伝えられました。
日本近代史を描く映画で≪悪く言うことは避けたい≫という驚くべき稚拙な歴史認識に私は驚愕しました。悪く行っているのではなく、事実を描いているだけです。
それは皆様にお送りしたプリントをご覧になって頂ければ分かることです。
そして、幾分かの修正が出ました。私は忍の一字を心に呑んで、映画上映のために主張に影響がない限り、修正できることは神社の意向に沿った修正を致しました。
そして、いよいよ、明日が本番上映という時に、総代の一人である阿南総代と小田村四郎総代から中止命令が出たということで、わずか、この二人のために映画上映は中止となりました。
所が、本作品をなんとか上映したいという神社の人々が裏で動き回り、神社としては社報やポスターで「凛として愛」を大々的に宣伝し、そのための招待客を大勢呼んでいる手前、なんとかみたま祭り期間だけは上映したいと小田村氏と交渉し、当日、「本作品は神社の意向に沿ったものではなく、泉水隆一監督個人の歴史観による作品であるので、このような作品を上映することに至ったことをお詫びします」というトンデモナイ挨拶文の紙が招待者に配布される中で、本作品は二日間だけ上映されたのです。
なんという常識のない公式挨拶であろうか。
これが現在の神社執行部の試行なのです。
それでも、映画は上映されたので、満員の観客は至る所で泣いていました。
山口県から来たというお年寄りの団体が「いい映画を見させてもらった。冥途の土産になります」と私の隣で話をしていたのを聞いて、さすがに私も涙を流しました。映画を上映してよかったと思いました。
少し、横道に逸れてしまいましたが、現在、私は靖國神社に祀られる英霊そのものは、大切にしたいと考えておりますが、現在の靖國神社執行部である湯澤宮司、三井権宮司、山口総務部長の三人を信じてはおりません。
又、神社に上映中止を迫ったと言われる阿南総代(阿南大将の遺児)小田村四郎総代(柘植大学総長)他に小堀柱一郎氏などの一連の著名な学者、研究者も私は信じていません。彼らが、今後、英霊に対してどのような崇敬の言葉を吐いたとしても、私はそれを腹で嘲笑し、軽蔑します。
全て偽善者であると私は断定するからです。

取り敢えずは、今日はここまでのこととして、皆様にご連絡が遅れたことをお詫びすると同時に、完成した映画「凛として愛」のプリントをお送り致しますので、どうぞ、ご鑑賞ください。

また、本作品の完成後、同時進行していた真珠湾攻撃の真実を描いたアニメ併用の「太陽に向かって翔べ」や「大東亜戦争の真実」の二作品も、編集を中止しました。「太陽に―」の作品ではスタジオに真珠湾攻撃に出撃した30隻の縮小艦船模型に潜水艦部隊30数隻(縮小模型は龍角散社長よりお借りする)、また、航空部隊の三機種の模型を準備し、三日がかりで、その威容を撮影。
そして、真珠湾攻撃に参加した空母加賀の雷撃隊のお一人のインタビューやハワイまでロケ、真珠湾攻撃を直接目撃した日系二世の元米軍将校のインタビューなどで構成、真珠湾攻撃の真実の姿を描く予定でしたが、これも中断せざるを得なくなったこと、誠に残念です。ご協力頂いた方々には申し訳ないの一言です。

「大東亜戦争の真実」では、戦後、初めてカメラの前に立たれたアッツ島生き残りの元兵士の貴重な証言、山崎大佐の遺児、山崎保之さんのインタビュー。また、日赤の従軍看護婦の方、島根県の山村で戦後の日本の歩みを批判する人々の話、あるいは玉砕の島、ペリリューに十日間ロケ、彼らは、どのように執拗に闘ったか―その雄渾の姿を描くつもりでしたが、これも中止という運命になりました。

私は、靖國神社執行部に対して、今後、どのような形で戦いを挑んでいくか、目下熟慮中です。
今の靖國神社の体制を崩さないかぎり、英霊は浮かばれません。
ただ、ただ英霊が彼らの私利私欲のために利用されるだけです。

先人が「靖國神社で逢おう」といった言葉は、あくまでも日本国民全てが認めていた戦前の靖國神社です。今の靖國神社ではないということをどうか、よくお考えになってください。
その上で、改めて、靖國神社というものを考えてください。
決して、彼らの表面ごとの言葉やポーズに騙されてはいけません。

「凛として愛」をふみにじったものたちが、靖國神社の中枢にいることが、現在の日本の不幸であり、真実の歴史の扉の前に立ちふさがっています。
敵は左翼ではなく、まさに本能寺にあったのです。
獅子身中の虫という言葉が私の胸の中で煮え繰り返っています。

大変、激高した言葉になってしまいましたが、皆様の中にはご不快になられる方もいると思いますが、英霊の力を借りて、二年間「凛として愛」に自分の才能を注いだ監督の言葉としてお許しください。

なお、プリントと共に、「凛として愛」の鑑賞記を掲載した「不二」という雑誌が同封されていますので、お読みください。
但し、部数に限りがありましたので、一部の方にはコピーとなりましたこと、重ね重ねお詫び申し上げます。
書いているうちに怒りがこみあげ、支離滅裂な箇所も多分あるかと思いますが、これもお許しください。

平成14年9月18日

…引用終わり

「戦前の靖国神社と戦後の靖国神社は違う」ことがわかりますが、それは神社に働く一部の人たちによるものであって、靖国神社は、「英霊たちの眠る神社」であることには違いありません。

遊就館で上映される映画「私たちは忘れない」は「凛として愛」と似ていますが、中国と韓国からの攻撃を忖度した内容のものです。元の映画そのものであれば、映画の名前を変更する筈はありません。

 


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